愛と憎しみのカジノ
生暖かい空気が漂い、サングラス無しではまともに外を歩けない、そんな季節がフランスに訪れ始めた。街に薄着の女性が多くなるこんな時期になると、いつも話題になる世界的なイベント、そう、それがカンヌ映画祭なのだ。今年のポスターは誰が飾るのか?誰が審査員になるのか?パルムドールを狙えるノミネート作品は?こういうテーマについて知り合いと話し合う、これもこの季節のお約束である。 さて、当の私も、フランス人の友人とカンヌ映画祭について話していたところ、映画祭の格という話題になった。私はてっきりカンヌ映画祭がヨーロッパで一番古くて伝統のある映画祭だと思っていたが、実際はそうではないらしい。また、カンヌ映画祭はそもそも、どうして南仏のあの場所で開催されるのか?私はまだ現地に行ったことがないのだが、知人曰くカンヌとは映画祭の期間以外は南仏の寂れたとまでは言わないが、静かなリゾート地だというのだ。今回はその辺について、お話ししたいと思う。 そもそも、カンヌ映画祭はイタリアのヴェネツィア映画祭に対抗するために創設された。第二次世界大戦がはじまろうとする1938年のヴェネツィア映画祭の受賞作発表の直前になって、ヒトラーがナチスのプロパガンダ映画を優遇するために審査に介入したのである。この状況に憤ったフランス人の外交官フィリップ・エーランジェは政治介入がない自由な映画祭をフランスに創設しようと思いついたのだ。 彼の構想は当時のフランス文部大臣ジャン・ザイの絶大な協力のお陰もあり、1939年9月、第1回カンヌ映画祭が、ちょうどヴェネツィア映画祭と同じタイミングに開催されるはずだった。 それでは、なぜカンヌなのか?カンヌに決定される以前、フランスや当時の植民地アルジェリアも含めて数十都市の開催候補地があったという。その中には、カンヌ以外にも、ミネラルウォーターで有名で、1998年のフランスワールドカップの際は、日本代表の練習拠点であった、エクス=レ=バンやアルジェリアの首都アルジェ、また、スペインとの国境沿いに位置し大西洋に面するビアリッツなどが入っていたのだ。 選考の末、ビアリッツとカンヌが開催都市最終候補にのこり、開催年の5月1日には一旦はビアリッツが選ばれた。しかし、その後の猛烈なロビー活動と、カンヌ市が映画祭開催のための予算を増額すると明確に宣言したため、最後の最後でカンヌ開催へとひっくり返ったのである。映画祭は当初、世界中の国々からの参加を呼び掛けていたが、第二次世界大戦の開戦前夜のせいもあり、結局9か国の作品しか集まらなかった。カンヌ映画祭の開催初日の9月1日に奇しくもナチスドイツがポーランドに侵攻し、映画祭は延期になった。当初は10日だけの延期であったが、結局、戦況と国内情勢の悪化により第1回カンヌ映画祭は幻に終わる。参加したアメリカ人は映画≪ノートルダムの傴僂男≫のプロモーションのためにノートルダム寺院のレプリカをカンヌの砂浜に建設することも計画していた。 第二次世界大戦が幕を閉じた約1年後の1946年9月20日、カンヌにあった古いカジノを舞台に第1回カンヌ映画祭が開催された。それから72年がたった今、途中、フランス政府と事務局側の予算を巡る争いや1968年の5月革命により数回中止されたこともあったが、2018年の5月8日に71回目のカンヌ映画祭が幕を開ける。 ちなみに、今年のポスターはジャン・リュック・ゴダール監督の≪気狂いピエロ≫のワンシーンが使われ、9名の審査員を映画≪ブルージャスミン≫でオスカー女優賞を獲得したケイト・ブランシェットが束ねる。日本からは是枝裕和監督の≪万引き家族≫と浜口竜介監督の≪寝ても覚めても≫の2作品が長編コンペティション部門にノミネートされた。 これから、映画関係者がレットカーペットを歩いたり、地中海の海岸に開設された特設スタジオからの中継が始まるかと思うと、少しわくわくしてしまう。